村社 星神社
Contents
概 要
社 号 星神社
読 み ほしじんじゃ
別 名
所在地 豊岡市竹野町川南谷86
旧地名 但馬国美含郡桑原郷(のち竹野郷)
御祭神
桑原臣多奇市 (桑原臣の祖)『国司文書 但馬故事記』
御神紋
例祭日 9月2日
社格等
近代社格制度 旧村社
創建 年代不詳
本殿様式
境内摂末社(祭神)
不明
一口メモ
以前桑野本の桑原神社へ行き、ついでの川南谷まで登ったことがあるが、それ以来2度めだ。川南谷は数軒住んでおられるだけになっている。集落の上まで行ったが、ちょうど道に地元の方に尋ねたら、意外と集落の民家の脇道を歩いて5分ほどで神社の手前まで案内してくださった。川南谷も少し高い場所だが、高原でかなり広い。失礼ながらこのような山深い場所になぜ人が住み着いているのか不思議に思っていた。以下の『国司文書・但馬故事記』を知るまでは。
現祭神の五百筒磐石命はよくわからないが、阿古谷神社(今の石原神社)も同じ祭神。桑原臣多奇市は美含県主。桑原郷(中竹野地区)を開き桑を植えた。桑野本の式内桑原神社の久禰命の子。多奇市の子・佐自努公は美含県主。(佐受神社:祭神 美方郡香美町香住区米地字宮脇)
歴史・由緒等
創立年月不詳
明治6年(1873)10月村社に列せらる。
「兵庫県神社庁」
『国司文書 但馬故事記』
人皇44代元正天皇は天下に令して、地方の荒れ地を開かせ、三世一身の制を定め給う。
然るといえども三世尽きれあれば、すなわち公に還す定めなり。これを以て、開発を為す者少なし。
人皇45代聖武天皇は、この制(三世一身の制)を改め、永く私領と為す制を定め給う。
これによって、高位高官は更なり、伴造・国造等の旧族に至るまで、国司・郡司の官を罷(ヤ)め、その地に住み、荒地を開き、土地を所有す。これ荘田の基なり。
神亀4年 大いに戸口蕃殖す。故れ口宣を下し、郷里を置く。曰く、佐須・竹野・桑原・美含・香住。
また編戸に満たざるを以って、故れ特に余戸(アマリベ)を置く。
(中略)
また大領・少領・主政・主帳等の子弟・同族は、諸所に出行し、部民を督励し、荒れ地を開く。
桑原臣善積は、河南谷を開き、その祖桑原臣多奇市を星ケ森山に祀り、星神社と申しまつる。(河南谷は今の川南谷)
桑原臣善友は、苗原を開き、天熊人命を苗原ノ丘に祀り、
杉・檜を杉谷に作り、熊野大隅命を杉山に祀る。(杉山は今の須野谷)
また水災を祈り護う為、瀬織津姫神を大川森に祀る。(大川神社 豊岡市竹野町御又80-1)
これ苗原神社・神原神社・熊野神社・大川神社・佐受神社の始めなり。
境内・社叢
小さな谷川を渡ると参道 木の鳥居も味があっていい
社域 本殿覆屋
狛犬
奥に境内社 稲荷社だろうか 祭神不明
地名・地誌
川南谷(かなんだに)
『国司文書・但馬故事記』 河南谷
1件のコメント